見送りは辛い

 13年間、うちの事業所をご利用くださった、同級生のおばあさまが先ほど亡くなられた。事業所内で看取りまでさせていただいたが、13年間の写真を整理して同級生に渡すのが、ちょっと辛い。

 まだ中学生の頃、家にお邪魔したとき、コーヒーを淹れてくださったのが、ついこの間のよう。

 スタッフと、ご利用者様とで、ご遺体の見送りをしていたところ、一番喧嘩をされていた方が一番嗚咽され、震える背中を見て、思わずもらい泣き。

 どんなにいがみあった相手でも、亡くなればもう仏様。生きている時に気づかずじまいだったその人の良い部分を痛感し、自分の中にどれだけの容積を占めていたのかを思い知らされ、切なくてたまらなくなる。

 親戚を含め、今まで何十人ものご利用者様を見送ってきて言えるのは、反りが合わないから排斥するという選択は、何の解決にもならないということ。多分、高齢者と関わる仕事をしている人たちは、ある程度の年月が経過すると、皆同じ感想を抱くと思う。どれだけ困らせられても、困難事例に泣かされても、見送る時に喜びを感じることは決してない。

 正当な理由もなく、相性が悪いからと、感情のほとばしるままに誰かを意図的に遠ざけた人は、その人が亡くなった瞬間に、後悔の呪縛に蝕まれる。多少なりとも世話になってきた人ならなおさら。

 いずれ確実に見送らなければならない立場にある人を、辟易させられるからと石持ておいたくないのは、そういう考えが私の行動の裏にあるから。

 先生と、保存会の今後を思いつつ――

※誤解を招きたくないから補足しておくが、私は別に樋口先生のことは嫌いではない。むしろ好き。それと、私以上に先生と長くかかわってこられた方に、悲喜こもごもの複雑な感情があるのも、ある程度理解しているつもり。とどのつまり、付きすぎず離れすぎず、適切な距離を保ちつつ、保存会が今後も何十年と続いていけばなあと。