パワスト好きと思われるのがつらい

 パワスト好きの方、いらしたらごめんなさい。

 予防線は張ったので好きなことを書かせてもらう。北出幸男氏が国内でパワスト展開を行う前からの鉱物好きで、石英や橄欖石を拾っては嬉々としていた子どもだったので、マイ水晶なども中学生の時には持っていた。当時、山梨などの産地や、一部の宝飾店を除き、鉱物類を買うには電話で業者に連絡するくらいしかなく、当然周囲には鉱物の専門店も存在しない。そういう環境で育ち、日々水晶が欲しいようと不遇さに悶々としていた私が、青天の霹靂で見つけた二見書房の水晶付きの怪しい本。購入したのは多分諫早の西友にあった本屋だと思う。初めてのクリスタルだと嬉々として手にして、お小遣いの中からレジで支払いをしたのに、家に帰って開封したら、あろうことか、水晶が入っていない。多分不心得者が中身だけ抜いたんだと思うが、たいていのことならあきらめて受け入れる私でもぶち切れて、二見書房に苦情の手紙と購入した本を送ったら、無事水晶入りの新しい本と取り換えてもらえた。

 その時の水晶はすでに紛失してしまったけれど、後から同じシリーズで発行された本のおまけのローズクオーツは、今に至るまで所有している。もう、購入してから三十年以上か。

 手持ちの石の中で一番古いのは、そのローズクオーツだが、祖母姉妹の形見の指輪と合わせていつも身に着けているルチルクオーツの勾玉を買ったのも、もう四半世紀以上前。当時はまだ鉱物類の値段がそこまで高騰していなかったが、三万近く払って買っただけあって、透明度は申し分ない。もっとも現金書留で通販を利用したので、確実にぼったくられているとは思うが、ルチルも自己主張するほど激しくなく、光にかざすと繊細な針が見て取れる程度で、私の好み。

 そんな感じで、気が向いたときに細々と集めた石を時折取り出しては愛でつつ時を過ごしていたら、いつの間にかパワーストーンという概念が世間を席巻してしまっていた。それでも、最初の頃は、街角に石屋が出来て鉱物類が買いやすくなるなど、恩恵の方が大きかった。蛸薬師通りや、八坂神社近くの石屋には、当時ともに京都に住んでいた月光百貨店の店主と一緒に良く通った。ただ、その頃は石の効果と言われてもアバウトで、「ローズクオーツは恋愛によい」などPOPに書かれていても「ふふ」と失笑する程度で済んだが、いつのころからか、レジで支払いをする時に、「この石にはこんな意味があってぇ」などとしたり顔で説明されることが増え、うんざりして、石屋に通うことはしなくなった。今は必要になったときに、ビーズ類を、似非蘊蓄をたれない店に買いに行く程度。他にも、今ストーンショップと呼ばれるところに売ってある石は、ほとんど品質が劣化していて、昔なら二束三文の屑石として処理されていたものが、そこそこの値段で売られていたりするので、そのあたりも受け入れがたい。

 以前から押しつけがましいパワスト信者には「金運に効くという石を、なぜ発展途上国の労働者は自分で持たずに輸出するのか」と難癖をつけたりしてきたが、私が石の効果で信じるものは、ピエゾ効果以外であれば、「硬いです。これで頭を叩くと痛みが走ります」とかのネタくらい。

 ルチルの勾玉以外にも、海事で潜水をしていた中学時代の同級生が、海の底にはこういうのが入った岩がゴロゴロしていると拾ってきたくれた驚くほど大きい黒水晶や、東京の友達がくれたアクアオーラの勾玉、地元の友人と二十代の時に日帰りで出かけた長崎旅行で、グラバー亭へと続く坂の途中にある店で買ったレインボークリスタルなど、想い出とつながった石は、どれも手放せないし、手放したくない。連絡を取ることもなくなった人も、それから連絡自体が出来なくなった人も、それらの石を愛でる時には、必ず思い出す。今はもう、よほど惹かれない限りは、新しい石を買おうとは思わない。

 長くなりそうなのでこの程度で切り上げるが、結論としては、「パワーストーンとか言わないで」ってこと。少なくとも私に対しては使わないでほしい。使ったら唇に五寸釘打ち込む。