しばし織り台を片付ける

 一昨日は別の作業に追われ、昨夜は八時過ぎから十時間以上眠り続けたため織れずじまいだった錦の台を、今から片付けることにする。

 やはり鹿島錦は難しく、私の手には余る。自分にも織れると考えたこと自体、傲慢の極みだったのかもしれない。いい機会なので、台を処分し、鹿島錦保存会も退会しようと思う。会の皆さん、それから先生、今まで本当にありがとうございました。

 ――と、肩慣らし代わりに軽く嘘をついたところで、春の作品展の搬入日である19日に向けて、こまごまとしたものを作る準備を開始。もちろんスキャン作業と並行。枯れ木も山の賑わい、小物も祐徳博物館の賑わいということで、都合のよい聞き間違いでなければ、会員全員に「いっぱい出せ」とのお達しもあったし、下手くそバンザイな私が出すのは基本的に小物ばかりで、さほど場所を取らないため、まずペンダントヘッドを複数作り、それからメインの二つ(もしくは三つか四つ)作る予定。多分二週間あれば間に合うとは思うが、途中で失敗したら、捨てられないけど目も当てられないものを入れておく黒歴史BOXに封印し、その後素知らぬ顔で「まだまだ初心者なので小物だけですぅ」と下手に出る所存。

 春の作品展と秋の文化祭は、鹿島錦保存会の二大行事。初心者も初心者なりに頑張らないと。

 そういえば、基礎織り時代に私が何度も手ほどきを受けたY先生から、「織るのと仕立てるのどっちが好き?」と訊かれ、即答できず、逡巡した挙句「……仕立てる方です」と返したのは、昨年の文化祭の時。織るのももちろん楽しいけれど、まだ自分が織りたいものを思うさま織るのに必要な技術を培ってはいないため、どちらかといえば仕立てる方かなという意味で答えた。一方、Y先生は、私の返事を受けて、「私は断然織る方」と明言された。その時、いろいろと戦争当時の体験も語ってくださったんだが、台湾に住んでいた子どもの頃、幼い弟と一緒に道路を歩いていたら、アメリカの戦闘機から機銃で攻撃されたとのこと。もちろん民間人、それも子ども相手だと向こうもわかっていて、威嚇射撃だったそうだが、それでもとっさに道路脇の茂みに弟と二人で隠れて、怖くて怖くて仕方なくて震えていたと、そんな話をされていた。

 鹿島錦に限らず、どんな種類の芸術にも、工芸にも、作り手の人生や想いが反映される。この作り手はこれまで空疎な経験しかしていないんだなと、見巧者から軽蔑されないように、きちんと作らないと。

 とりあえず嘘はノンノン、失敗してもマイペンライということで。