鹿島実業高校、閉校

 鹿島錦の発祥地は鹿島城の大奥。つまり、鹿島城址に建てられた鹿島高校。一方、今日の鹿島錦保存会まで連なる伝統の継承に一役買ったのは、旧鹿島立教こと、鹿島実高。鹿島立教は、戦後の学制改革に伴い、旧制鹿島中学、鹿島高等女学校と統合し、鹿島高等学校となり、その後昭和30年に改めて独立し、鹿島実業高校となる。再統合して新鹿島高校となる前も、鹿島高校とは兄弟高の間柄だったため、合同のイベントもあり、それぞれの三年生だけが参加する、牡丹餅会と呼ばれる、牡丹餅を食べながら余興を楽しみ、さらには綱引きで勝敗を決めるという不思議な集会も、一年おきにそれぞれの体育館を会場に催されていた。

 鹿島錦保存会設立のきっかけとなった、鹿島市主催の鹿島錦教室では、在学時に鹿島錦を履修した鹿島立教高校の卒業生が、講師となって受講者に手ほどきをした。彼女たち、鹿島に残った錦の先達がいなければ、東京他に進出し勢いを得ていた佐賀錦の流れに飲みまこれ、技術は残ったとしても、否応なしに同化され、鹿島錦という名称を冠した私たちの錦は、存続できなかったといっても、おそらく、過言ではない。そのような恩義ある鹿島実業高校も、鹿島との再統合前に入学した生徒たちを無事送り出し、今年、閉校に至ったとのこと。

 鹿島錦保存会の一員として、改めてその歴史に敬意を表したいと思う。

※私の学年の牡丹餅会で、綱引きに参加して奮闘した野球部の同級生は、卒業後まもなく、事故に遭って亡くなったと、人づてに聞いた。事実なら、彼の冥福も祈りたい。それと、自死されたN先生のことも。

※学年主任をされていた国語のM先生、文化祭で鹿島錦の会場に見えられて、作品をご覧になっていた。ただ、絵画ほど興味があられないようで、進み方がハイペース。お声掛けはしなかったが、往時より痩せられていたのが印象的だった。